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へんてこなブログ

aikoを体験する

 

今までで一番聞いているアーティストは?そう聞かれれば、私の答えは間違いなくaikoだ。私が胸を張って大好きだと公言しているバンドやアーティストは何組かいる。(それについてはまた機会があれば書きたい)その中のひとつがaikoだ。

aikoを聞くことは日常のルーティーンのようなものになってしまっている。 ご飯を食べ、歯を磨き、お風呂に入るのと同じようにaikoを聞く。息を吸うようにaikoを聞く。私は音楽それ自体が大好きでたまらないので、最新のヒット曲も聞けば、解散してしまったバンドの曲も聞く。要は色んなものに触れてみたいため、日常で音楽を聞く際ひとつの音楽に留まっていることはなかなか少ないのだが、aikoに関しては聞き方がちょっと特殊かもしれない。一日一曲以上、一日いちaiko、と言った感じで毎日聞かないと「あれ、今日は何だか物足りないな」とまで思ってしまうくらい私の耳は日々aikoを欲している。こういった状況はaiko好きの方には分かっていただける気がするのだが、彼女の楽曲は非常に中毒性が高い。aikoを聞いていると恋してる気分にも失恋した気分にもなれるし、今あなたが好きなのという現在進行形の気持ちにも、あなたが好きだったのという過去を想う気持ちにもなれる。aikoはどうしてこんなに聞き手のことを知っているのだろうと不思議に思いながら、また再生ボタンを押し、aikoのループが完成する。20年で200曲以上、そこから数え切れないほどの気持ちを聞き手に与えてくれるaikoの楽曲は、というかaikoは、一度耳に住み着くとなかなか離れてくれない。私の耳の中には小さなaikoが住み着いている。彼女の曲をこうやって重ねて聞いてしまうのは、彼女の楽曲の特徴がそうさせているのかもしれない。

 

私は、aikoの曲を憑依型ソングだと思っている。恋を歌った曲が支持されていることを表す時によく「共感されている曲」という表現を目にするし、確かに好きだと感じる曲はどこか共感できることが多いような気がするのだが、彼女の曲の場合はちょっと特殊で、共感型というより憑依型と言った方がしっくりくるような気がしている。自分の経験と重ね合わせて共感しているというより、aikoを疑似体験している感覚に近い。彼女自身の経験を彼女自身の独特な言い回しで表した歌詞の世界観は、例え経験したことのない状況でもいつのまにか完全に聞き手である私に乗り移る。aikoが20年間で生み出した200曲以上の全て「分かる」なんて本当はなかなかありえないことだと思うが、aikoが乗り移り200曲以上aikoを疑似体験をしている私は、その200曲以上の曲を「分かる」気がしてならない感覚に陥ってしまう。ただ、それは共感による「分かる」ではなくて、aikoが乗り移ったことによる「分かる」なので自分の経験から得た「分かる」ではないような気がしている。

 

自分が経験したこと、してないこと全て「分かる」ような感覚になる要因はいくつもあるはずだけれども、その中のひとつにaikoの特徴である「あたし」三昧も関係しているような気がしている。aikoの書く曲には必ずと言っていいほど「あたし」という一人称が登場する。それも一度や二度ではなく、一曲の中で何度も何度も。どの曲を再生してもこれでもかってくらいに「あたし」「あたし」の連続が待ち構えている。aikoが昔契約していたところの担当者から、「あたし」という単語を使い過ぎて、あたしの部分に印をつけられ「ほらこんなにある」と注意されていたというエピソードが残っているほど、aikoの歌は「あたしの歌」なのだ。その「あたし」は知らず知らずのうちに聞き手である「私」に乗り移り、あたし?あたしって私?といった具合に最終的には「aikoは私か?」という錯覚に陥り、いつしか「あたしの歌」は「私の歌」となっている。それくらいaikoが繰り返し使う「あたし」という一人称には強い魔力が潜み、あたしを経由してaikoの楽曲は聞き手に憑依し、知らぬ間に彼女の世界観へ連れ込むことに成功している、そんな気がしてならない。これがaikoの曲を聞くことが、aikoを疑似体験しているということになっている、そういうことなのかもしれないと何となく思っている。

 

と、ここまでだいぶ訳の分からない様子のおかしな文章を書いているのは百も承知だ。承知だが、aikoが乗り移る体験しているのは、実は私だけではないような気がしてならない。以前、aikoのファンである男友達にaikoの「シアワセ」のサビ前の歌詞がとても好きだという話をしたことがある。 

見上げたら喉が愛おしかったので

甘いキャンディーの事も忘れて

小さいあたしの唯一の特権

思わずキスをしたの(シアワセ)

その時に彼は「俺もそこが好き」と話していたのだが、180センチ以上ある長身の彼にはおそらく「見上げたら喉が愛おしかった」経験も「小さいあたしの特権」を感じたこともそうはないのではないかと思い、「それは共感できるっていうこと?」と返すと「いや、共感じゃないけどなんか分かる気がする」と話していた。この話を聞いた時になんか分かるのはきっと彼の耳の中にもaikoが住み着いてて、知らぬ間にaikoの目線からaikoの景色を体験しているからだろうなと思った。経験したことのないことも楽曲を通してaikoを体験することで「なんか分かる」ようになるのだと思う。もちろん彼自身はそんなこと微塵も思っていないだろうけれど。

 

アーティスト自身の個人的な歌が気付けば普遍的な歌になっているというのは色んなアーティストに当てはまる話ではあると思うけれど、aikoに関してはそのケースがあまりにも多く、それが20年変わらずいる。変わらないと言ってしまうと成長してないだとか進歩してないという意味に取られがちだけれど、aikoの場合は変わらないことに挑んでいるのだと思う。そんな変わらない「あたし」の世界観を体験し夢中になっている人が20年通して沢山いるのだろうな、というのはファンのツイッターやライブ会場の様子を見ているとあながち間違った感覚ではないように思える。彼女のファンが「ジャンキー」(麻薬中毒患者。転じて、何かに夢中になっている人)と総称されているのが何よりの証拠だ。aikoの世界観を体験し、aikoの世界観とaiko自体に夢中になっている人がaikoジャンキーになってるのかもしれないなと思う。好きの理由は人それぞれだからもちろん一概には言えないけどそういう人だっているんじゃないかなと、と言うか私の好きの理由はそれなんだよなあと思う瞬間が最近いっぱいあったので、言葉にしてみたくなった。

 

まあ、ここまでさんざんあれこれ書いておいて結局何が言いたいかというと、私もそんなaikoにどっぷりのaikoジャンキーの一人だ、ということ。aiko20周年イヤー楽しみで仕方ない。早くaikoを体験したい。aikoをまだ体験したことのない人で興味を持った人がいたら、是非体験してみて欲しい。最初はやっぱりベスト盤を聞くのが良いと思う。もうそろそろライブの発表とかあるかな。楽しみだなあ。

まとめ?(通常盤)

まとめ?(通常盤)